高山優希さんは元プロ野球選手でに日本ハムファイターズに所属されていました。
プロ野球選手時代はなかなか力を発揮することができませんでした。
しかし、2023年12月27日放送のTBS系の人気番組「プロ野球戦力外通告」に出演され、一躍注目の人になりました。
そんな元日本ハムファイターズの高山優希さんはどんな人生を送られてきているのでしょうか。
この記事では高山優希さんのプロフィールと経歴について紹介します。
高山優希のプロフィール
本名 | 高山優希(たかやま ゆうき) |
生年月日 | 1998年5月17日 |
年齢 | 25歳(2023年12月現在) |
出身地 | 大阪府大阪市 |
身長 | 181cm |
体重 | 86kg |
ポジション | 投手(左投左打) |
父親 | 日本人 |
母親 | フィリピン人 |
家族構成 | 妻(7歳年上)娘(0歳) 2023年12月現在 |
高山優希さんは父親が日本人で、母親がフィリピン人のハーフです。
2020年2月10日には第5回ワールド・ベースボール・クラシック予選のフィリピン代表に選出されています。
しかし新型コロナウイルスの影響で大会がキャンセルされたため、高山優希さんのフィリピン代表としての出場は叶いませんでした。
高山優希の経歴
高山優希さんは元プロ野球選手で日本ハムファイターズに所属されていました。
それまでにはどんな人生を歩まれていたのでしょうか。
ここでは高山優希さんの野球における経歴を紹介します。
高山優希さんは大阪市立城東小学校に通われていました。
小学校在籍時に、森之宮キャッスルにて野球人生をスタートすることになります。
高山優希さんが具体的に何年生から野球をし始めたのかはわかりませんでした。
ですが、森之宮キャッスルの名簿には2008年から登録されているので、小学校4年生から野球をやり始めたのかもしれませんね。
森ノ宮キャッスルInstagramより
小学校卒業後、大阪市立城陽中学校に入学した高山優希さは、大阪東ボーイズに入団されます。
同地区の箕面ボーイズには元東京ヤクルトスワローズの寺島成輝がおり、中学時代からしのぎを削っていたそうです。
高山優希さんは中学校3年の時に野茂英雄が総監督を務めるNOMOジャパンに選出されています。
そこでアメリカ遠征に行かれました。選抜メンバーには藤嶋健人・岩田将貴がいらっしゃいました。
高校は野球の名門大阪桐蔭高等学校に進学されました。
高山優希さんの高校の野球経歴をまとめてみました。
全国高校野球選手権大会(夏の甲子園)優勝
第87回選抜高等学校野球大会(春の甲子園) 準決勝の敦賀気比戦で甲子園デビュー。
エースとして活躍するようになる。
大阪大会優勝→近畿大会優勝→第46回明治神宮野球大会出場(準決勝敗退)
第88回選抜高校野球大会(春の甲子園) 2回戦敗退
選手権(夏の甲子園予選)大阪大会 3回戦敗退
高山優希さんはドラフト会議で5位指名で日本ハムファイターズに入団されました。背番号は48番です。
日本ハムファイターズでの成績をまとめてみました。
1軍出場なし 2軍での通算成績72試合登板5勝6敗
戦力外通告 → 育成選手として再契約(背番号148)
1軍出場なし 通算成績78試合2勝4敗
再度戦力外通告
日本ハムファイターズから戦力外通告を受けた後、高山優希さんは関西独立リーグの堺シュライクスに所属します。
堺シュライクスでの1シーズンの成績は7試合登板1勝0敗1Hでした。
シーズン終了後の12月1日に自由契約となってしまいました。
日本ハムファイターズでの最高年俸は推定で440万円でした。
20代男性の平均年収は約380万円ですので、やや高めの年収と言えます。
ただ、プロ野球選手の最低年収は
- 1軍選手 1600万円
- 支配選手 420万円
- 育成選手 240万円
ですので、野球選手としては高くない年収と言えるでしょう。
高山優希の現在
高山優希さんは堺を自由契約になった後、どのように過ごされているのでしょうか。
トライアウト後に四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスからオファーがあったそうです。
しかし、高山優希さんは目標としていたNPB球団からのオファーがなかったため現役引退を決断されました。
現在は広告関係の仕事に就職したことが明らかになっています。
まとめ
高山優希さんは日本ハムファイターズに所属されていた元プロ野球選手でしたね。
学生時代から華々しい成績を収められていましたが、プロ野球選手としては実績を残すことが出来ませんでした。
しかし、身長181cmでハーフの高山優希さんは、その見た目と野球で培った根性で転職先の広告業界できっとご活躍されるでしょう。
今後の高山優希さんの今後のご活躍に期待したいと思います。