元宝塚歌劇団のトップスター真矢ミキさんは宝塚に数々の伝説を残しました。
従来の男役のスタイルを覆し、当時は「ヅカの革命児」と呼ばれていた事をご存じですか?
今回はそんな真矢ミキさんの宝塚時代について調査してきました!
真矢ミキの宝塚時代イケメン画像!
まずは真矢ミキさんの宝塚時代のイケメン画像を見ていきましょう!
こちらは1993年に宝塚ホテルで開催したディナーショー「MIKI IN PERSON」の1枚です。
真矢ミキさんは当時このディナーショーを行うのが念願だったと話しています。
こちらは1995年宝塚大劇場での公演「ダンディズム!」でMr.ダンディー役を演じた時の1枚です。
宝塚ならではのド派手なメイクと真っ赤なスーツの着こなしがさすがですね。
1997年「ザッツレビュー」。「モン・パリ」上演70周年を記念して上演された華やかな舞台でした。
シルクハットと燕尾服がかっこよすぎますね。
こちらは1997年バウホールの公演。「ブルースワン」で怪盗のアレックス役を演じました。
宝塚には珍しいナチュラルメイクやロン毛が話題となりました。
こちらは真矢ミキさんの宝塚最終日の1枚です。
花組主演男役だった真矢ミキさんは1998年10月5日に宝塚を退団しました。
最期は白ラメの燕尾服姿で退団挨拶をしました。
真矢ミキの宝塚時代、何組だった?
真矢ミキさんの宝塚時代を振り返っていきましょう。
入団時
1981年、真矢ミキさん(当時17歳)は宝塚歌劇団に67期生として入団しました。
67期は多くのスターを輩出した「豊作の期」と言われています。
月組のトップスターとなり、現在も舞台で活躍を続けている涼風真世さん、月組のトップ娘役として活躍された黒木瞳さん、日航機墜落事故で亡くなられた美貌の娘役の北原遥子さんが真矢ミキさんと同じ67期です。
真矢ミキさんはそんな67期の39人中、37番目という成績で入団しました。
入団後の成績は惨憺たるものでした。しかも身長も165cmと男役にしては低い。マントを翻してもサマにならないんです。みんなと同じにはなれない。じゃあ私は何ならなれる?と考えて、現代的な男役像を模索し始めたんです
産経新聞社
真矢ミキさんは当時の自分を「劣等生」と振り返ります。
初舞台後には花組に配属されますが、その後しばらくは活躍の場が全くなかったそうです。
18歳の頃、本気で宝塚をやめようと、母親に電話した事もありました。
母親からは「せめて2,3年はがんばりなさい」と退団を止められ
真矢ミキさんも考え直す事ができたそうです。
真矢さんにそんな過去があったとは意外ですね。
そんなどん底時代の中でも真矢さんはいつも研究熱心でした。
入団3年目、主役に抜擢
入団から3年目となる1983年、花組公演「メイフラワー」の新人公演で主役に抜擢されます。
それ以降はチャンスが巡ってくるようになりました。
飛躍につながったのは1986年公演のコメディー「グッバイ・ペパーミントナイト!」でした。
「グッバイ・ペパーミントナイト!」では真矢ミキさんと安寿ミラさんのダブル主演。
息の合ったコンビと、コメディエンヌぶりが評判になりました。
以後、2人は「ヤン(安寿さんの愛称)ミキ」と呼ばれるようになり、若手スターを象徴するコンビとして活躍するようになるのです。
入団15年目、ついにトップスターに就任
1995年、「エデンの東」「ダンディズム!」で真矢ミキさんはついに花組トップスターに就任します。
しかし、同年1月17日の阪神大震災で劇場は甚大な被害を受け、時期が時期だけに、通常は華々しいトップお披露目も空席だらけだったそうです。
あの寒々とした光景は、その後、私を突き動かす大きな原動力になりました。もちろん震災直後ですから、仕方ない。でも、悔しかった。「私は絶対、動員にはこだわるぞ」と決意しました。どんな状況下でも、「あの人の舞台だったら、何としても足を運びたい」と思わせるスターにならなければ、と身震いする思いでした。
産経新聞社
つらい逆境を何度も乗り越えてきたんですね。
トップスターになった真矢ミキさんはこれまでの宝塚の男役のイメージを変えるようになります。
王子様のような宝塚の伝統的な男役とはひと味違う、現代的な持ち味を生かしたリアルで洗練された男役を追求したかったのだそうです。
舞台化粧はナチュラルに、アイシャドーを従来の青ではなく、茶色で陰影を付け、赤い口紅もやめ、自然な男役を追求し、その後、みるみる宝塚の枠を超える人気を集めるようになりました。
前例のない行動は最初こそ「異端児」扱いでしたが、認められると「ヅカの革命児」と呼ばれるようになりました。
真矢さんの伝説はまだあります。
1997年、篠山紀信さんによる撮り下ろしの写真集「Guy」には女性としての真矢ミキさんの姿の写真もあり、発売当時は大変話題となりました。
ここでも真矢さんは宝塚の「男役は公の場で女性の恰好をしてはいけない」というタブーを覆したのです!
2024年1月の篠山紀信さんの訃報で真矢さんを当時を振り返りました。
当時のお2人の覚悟と情熱が伝わってきますね。
真矢ミキさんのトップスター時の代表作としては、「ベルサイユのばら」「エデンの東」「ハウ・トゥー・サクシード」などが挙げられます。
真矢ミキの宝塚時代の相手役は誰だった?
続いては真矢ミキさんの宝塚時代の相手役についてご紹介します。
純名里沙
1995年のトップ就任時の相手役は純名里沙さんでした。
純名里沙さんは1990年に入団した76期生です。
抜群の歌唱力を持ち、入団当初から注目を集めていたそうです。
当初、純名さんは雪組に在籍していましたが、1994年のNHK連続テレビ小説「ぴあの」で主演を果たしたことから一躍有名になりました。
そしてドラマ撮影で1年間休演後、花組の娘役トップになりました。
真矢さんの相手役として「エデンの東」「ハウ・トゥー・サクシード」で活躍します。
しかし、純名さんは1996年に宝塚歌劇団を退団。
短い期間のコンビとなりました。
千ほさち
その次に真矢さんの相手役に就任したのは千ほさちさんです。
千ほさちさんは1994年に入団した80期生です。
1995年に月組みに配属後は華やかな容姿で注目を集め、新人公演ヒロインを3度も務めました。
その後1996年に花組に組替えとなり、娘役トップに選ばれました。
真矢さんとのお披露目公演は「失われた楽園/サザンクロス・ビュー」。
そして1998年10月、千さんは「SPEAK EASY/スナイパー」で真矢さんと同時退団します。
宝塚では相手役が同時に退団する事を、「添い遂げる」と表現するそうです。
2人の退団に多くのファンが涙を流したのではないでしょうか。
千ほさちさんは退団後は「森ほさち」に改名して芸能活動を始めましたが、2015年に芸能界を引退しました。
まとめ
今回は真矢ミキさんの宝塚時代について調査し、以下のことがわかりました。
・真矢ミキさんな入団当時は活躍の場がなかった
・「ヤンミキ」コンビとしてブレイク
・花組のトップスターに就任するも、当時は阪神大震災の影響で劇場はガラガラ
・宝塚のイメージを覆し、「ヅカの革命児」に
・その後たちまち人気を集め、伝説の花組トップスターとなる
真矢ミキさんの芯の強さやかっこよさは宝塚時代の困難を乗り越えてきた情熱と努力の賜物でした。
魅力に溢れた真矢さんをこれからも応援していきましょう!