2023年に、広島東洋カープから戦力外通告を受けた薮田和樹選手。
今回は、そんな薮田和樹選手の家族構成や実家についてまとめていきたいと思います。
薮田和樹のプロフィール
名前 | 薮田 和樹(やぶた かずき) |
生年月日 | 1992年8月7日 |
出身 | 広島県広島市 |
身長 | 188cm |
体重 | 85㎏ |
ポジション | ピッチャー |
投打 | 右投げ右打ち |
経歴 | 岡山理科大学付属高校→亜細亜大学→広島東洋カープ→オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ |
薮田和樹選手は、2023年まで広島東洋カープに所属し、ピッチャーとして活躍した野球選手です。
年齢は、2023年現在で、31歳とプロ野球選手としては、ベテランの域に差し掛かっています。
同世代のプロ野球選手としては、
東京ヤクルトスワローズの山田哲人さんや西武ライオンズの源田壮亮さんなどがいます。
では、薮田選手のプロ野球選手としての経歴を振り返っていきましょう。
経歴
2014年のドラフトで、広島東洋カープから二位指名を受け、広島東洋カープに入団しました。
7月1日に一軍に初昇格し、初登板初先発した読売巨人戦では、見事初勝利をおさめました。
その後、2016年、2017年、2018年の広島東洋カープの3連覇に貢献した素晴らしい選手です。
ここ最近は、不調続きでなかなか結果が出ず、苦しいシーズンを過ごしていました。
そんな2023年シーズンは、わずか3試合の登板に終わってしまい、10月5日に戦力外通告を受けてしまいした。
戦力外を受けた際には、
ここ数年覚悟していたこと。きたか、という感じ。特に今年一年は家族に覚悟を伝えながらプレーしていたので、自分を含めてネガティブな感情にはならなかった。もちろんまだ続けるつもりだし、次に向けて頑張っていきたいです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4bc7451180cabfe390d056972aafb9a575cc6173
とコメントしていました。
また、広島東洋カープで過ごした9年間については、
プロ野球を目指すきっかけになったのはカープ。25年ぶりのリーグ優勝を経験できて3連覇して、カープで野球できたのはうれしく思います。2連覇の時(2017年)は(勝率第1位の)タイトルを取れて。1年間1軍でプレーするのが目標だったので、17年が一番印象に残っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4bc7451180cabfe390d056972aafb9a575cc6173
このように、生まれ育ってきた広島で地元球団のカープでプレーできたことを誇りに思うコメントをしていました。
カープが大好きなんでしょうね!
11月15日には、現役続行をかけ、12球団合同トライアウトに参加しましたが、シート打撃での打者3人との対戦で2つの四球を与える結果に終わりました。
そして、2024年からは、オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブに所属し、プレーすることが決まっています。
意気込みとして、
新たにNPBのファームリーグに参加する球団でプレーさせていただくということに自分自身、元NPB選手としての自覚と責任を持ちながらチームを引っ張っていける存在にならなければと強く感じています
https://news.yahoo.co.jp/articles/0580674f1dd96791d74e8395089d834446ce9149
元NPB選手としてチームをけん引する存在になるといったコメントを残しています。
頑張ってほしいですね!
薮田和樹の実家、学生時代
薮田和樹選手の実家は、広島市東区にあります。
広島市立矢賀小学校の2年生のときに野球を始め、広島市立二葉中学校時代には、広島安芸リトルシニアでプレーしました。
高校は広島県にある実家を離れ、岡山理科大学附属高校に進学します。
なんと1年生からベンチ入りし、1学年上の広島東洋カープの九里亜蓮投手に続く有望株とされましたが、故障に泣かされ、目立った成績は残すことができませんでした。
薮田和樹の家族構成
薮田和樹の家族は、
- 勝実さん(継父)
- 昌美さん(母親)
- 祐樹さん(兄)
- 薮田和樹選手
の4人家族です。
下の画像は向かって左から薮田選手、母の昌美さん、兄の祐樹さんです↓
ご家族についてみていきましょう。
父親・勝実
薮田和樹選手の父親は、勝実さんです。
勝実さんは実父ではなく、母である昌美さんの再婚相手となるので薮田選手にとっては継父になります。
薮田選手が1歳の時に、両親が離婚したため、薮田選手は実父の記憶がないそうです。
広島入団時の仮契約には、昌美さんと共に勝実さんも出席しました。
薮田選手がプロ初登板をした際には、なんと前日に広島から昌美さんと勝実さん一緒に東京ドームまで駆け付けたそうです。
また、薮田選手が初勝利のウィニングボールを母親に贈った際に勝実さんが、
200勝のボールが欲しい!
とコメントするなど、血のつながりはなくとも楽しい親子関係を築いています。
きっと優しい人なのでしょう。
母親・昌美
薮田和樹選手のお母さんの名前は、昌美さんです。
そのため、薮田投手のお母さんは、女手一つで苦労しながら、子供たちを育てました。
たくましいお母さんですね!
現在は、母親・昌美さんは、勝実さんと再婚していますが、薮田選手が高校生の頃までは女手一つで2人の子供を育てをしていました。
2023年現在、53歳になるそうです。
そんな昌美さんは、昼は保険の外交員、夜は弁当屋で働き、家計を支えました。
仕事で忙しいのにもかかわらず、試合は必ず応援しに来てくれたんだそうです。
薮田選手が高校生の頃、昌美さんは、より高い収入を求め、タクシーの運転手をはじめました。
朝6時から翌朝6時まで、24時間勤務のハードワークな生活は限界を超え、疲れからタクシーで事故を起こしていまいました。
この事故で昌美さんは心身を病み、髪の毛がすべて抜け落ち、視力が低下してしまいます。
それでも薮田選手には病気を隠すために、かつらを被って応援に駆けつけていました。
息子思いのお母さんであることが良くわかりますね。
薮田選手が亜細亜大学に進学後、怪我のため登板機会が少なく、プロに行けるほどではなかった中、
広島の球団オーナー松田元さんを偶然にも客としてタクシーに乗せた昌美さんは、息子が大学で野球をしていることを紹介したました。
このことがきっかけになり、広島のスカウトが薮田選手を視察するようになったそうです!
運命的な出会いですね!
兄・祐樹
兄・佑樹さんは、地元広島で警察官になっています。
お母さんの窮状を見かねた祐樹さんは、薮田選手に実家の経済状態を話し、大学進学をあきらめるよう告げました。
お母さん想いの優しい性格のした人なのでしょうね。
薮田選手はショックを受け、大学をあきらめ、野球も辞める決心をしますが、
高校時代の恩師から、
野球を辞めることはお母さんを裏切ることになる
と説得され、奨学金を得て亜細亜大学へ進みました。
まとめ
今回は、広島東洋カープで9年間プレーした薮田和樹選手のことや家族についてまとめてみました。
薮田選手の母親・昌美さんの献身的なサポートがあってこその薮田選手の現在があるのでしょう。
来年からは、オイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブでプレーすることが決まっています。
これからも目が離せないですね。